電車に乗ることについて語る時に僕の語ること

最近電車に乗る時にやっていることがある。

座りたそうな人を見つけて席を替わることだ。

 

でも誰にでも声をかけているわけではない。

子供連れの方や、ご年配の方、妊婦さんには声をかけやすいし、座ってもらえることが多いが、

それ以外の方は断る可能性も高いので、声をかけて断られた場合、それはそれで微妙な空気になる。

 

僕がやっているのは、

社会通念上、席を替わるべきと思われる方には声をかける。

これは断られてもOK。

 

それ以外の人が座りたさそうな感じを出していたら、そっと席を立つ。

ただし、意図していない人が座ろうとする(大抵ふてぶてしいオジサンであることが多い)ことを防ぐため、

その人と席の間に立ってブロックし、意図した人が座れるように道を作る。

 

これはゲームなのだ。

成功すれば、獲物が狙った通りに動いた喜びと、自分がちょっとだけ世に貢献した気分を味わえる。

 

 

でも、ふと以前のことを思い出して、疑問を感じた。

以前は出来る限り席に座ることを優先していて、(たとえゲーム感覚だとしても)必要性のない人に席を譲るようなことはなかった。

なんで今はこんな余裕ができたのか。

 

そこで、おそらく通勤での長時間乗車の必要がないからなのではないか、と思い至った。

 

僕は最近東京に引っ越してから電車に乗るようになった。

地方にいた時はほぼ車生活だったので、毎日のように電車に乗るのは久しぶりだ。

 

皆そうだと思うが、僕は満員電車が嫌いだ。

この点は、東京に引っ越す際に妻と散々話して、2人の勤務地にできるだけ近いところに住もうと決めた。

結果的にお互いドアドア30分で通勤できる場所に家を借りることができた。(JTCの家賃補助サマサマである)

 

30分で職場に着くということは、実際に乗車している時間は10分に満たない。

時によってはその10分がおそろしく苦痛になることもあるが、

大抵Twitterやネットニュースでも見てたら一瞬だ。

この程度の乗車であれば、たとえラッシュアワーでも、著しいストレスにはならない。

 

普段の通勤で電車の苦しさを感じていないので、

電車に乗る時に座りたいと強く思うこともないし、休日に乗車した時も余裕が生まれるのか、と。

 

僕は20代の男性だ。スポーツもやっていた。

おそらく電車内でも体力、筋力は上から10%には入っているだろう。

しかも都心近郊に住んで、短い通勤時間(お出かけの時もすぐに目的地に着ける利便性)を享受している。

 

これだけの好条件が揃って、僕はやっと人に席を譲る余裕ができるのだ。

 

特段の事情も無さそうなのに席に座ろうと必死に飛び込んでくる人を見かけると、

「なんか情けないなぁ」とか「みっともないなぁ」なんて思ってしまう。

だけど、それは彼ら彼女らの体力条件や『普段の』通勤条件が関わってるし、様々な事情があるのだろうから、

勝手に人の行動を判断するのは良くないなぁと思った。

 

なので、電車を間違えて後輩の結婚式に遅れそうな僕が、

はやる気持ちを落ち着けるために座ってこの記事を書いていても許されるはず。

そう思うのです。(近くに優先されるべき人が居ないことを確認して)